努力の末に生み出された、ホタテの完全養殖技術。
サロマ湖は海の跡湖と言われ、その昔オホーツクの海でした。 名前の由来はアイヌ語で湿地に生息するよしが入る川を意味する、「サル・オマ・ベツ」と呼ばれるこの湖は日本で3番目に広く、現在も25 km にも及ぶ砂州がある湖は世界的にも非常に珍しい湖です。
かつては永久湖口を持たない湖で、冬の時化により砂で埋まってしまう東側の唯一の湖口を春先に人力で掘り、切り開いていました。 現在は湖口も工事され、昭和30年代に努力の末に生み出されたホタテの完全養殖技術発祥の地です。 ホタテ養殖は新たなオホーツク文化です。
サロマ湖で育てられたホタテの稚貝は地元の漁協を通じてオホーツク海に撒かれるだけでなく、北海道内の漁協に販売され、そこから海に放流されています。ホタテは水産王国北海道で1番の水揚げ高を誇る魚種で、その中でもオホーツク地域は有数の生産地です。そのホタテ漁業を支えるのがサロマ湖の稚貝養殖です。サロマ湖の漁業の主たる形態は魚を獲る漁業ではなく、ホタテの命を育てる養殖漁業なのです。
現在はとても豊かなサロマ湖のホタテ養殖業ですが、始めからうまくいっていたわけではありませんでした。 昭和初期、漁師さん達は、枯渇する資源の中どのようにこの地で漁業を続けていくか頭を悩ませ、育てる漁業としてホタテの養殖に果敢に挑戦してきました。 ホタテの養殖は当時とても難しく1cm台のホタテの稚貝は海に出ると他の魚類に食べられてしまい、養殖がうまくいかない時期が長く続いていました。 それまで、ホタテは海の底で生きるものだ、という考え方のもと、稚貝も海の底に放流され、その成長が試されていましたが、長年ホタテと関わってきた漁師さんたちは、湖の中にカゴを吊るし、水中でホタテの稚貝を育てる方法を考えました。当時型破りだったこの方法は専門家の反対意見もありましたが、漁師さんたちは自らの確信を信じ、この新しい方法に挑戦しました。結果、冬の流氷時期を乗り越え、春に引き上げられたカゴの中には、元気に育ったホタテの稚貝がありました。 3cm 台まで育ったホタテの稚貝は他の魚類に食べられることもなく、オホーツク海に放流することもできます。この稚貝の越冬技術により沢山のホタテを育てることができるホタテ養殖が確立され、サロマ湖の漁師さん達は苦労の末に、育てる漁業を確立することができました。
ただ、苦労はそれだけではありませんでした。 オホーツク海には毎年流氷が訪れ、サロマ湖の中にもその一部が侵入してしまいます。侵入した流氷は、せっかく吊るしたホタテのカゴにぶつかり、カゴが流されたり壊されたりと、毎年大きな被害と戦いながらホタテを養殖していました。 それを救ったのがホタテと同じ形をしたアイスブームです。 アイスブームは、サロマ湖の湖口に巡らされたロープにより流氷を受け流し、止めることによってサロマ湖内への流氷の侵入を防ぎます。これにより養殖の被害が抑えられ、安定して養殖をすることができるようになりました。現在とても豊かなサロマ湖のホタテ養殖業は、沢山の苦労の上に成り立っています。