気軽に来られる心の拠り所でありたい。家康公との深い縁を感じられる多聞寺

寺院名:日光山多聞寺
住所:〒091-0558 北海道常呂郡佐呂間町栃木492-1

栃木県にあった日光山多聞寺と、北海道への入植の歴史

多聞寺は、元は栃木県日光山にあったお寺でした。しかし水害や火災など、度重なる災害に見舞われ、明治後期ごろにはかなり廃れてしまったのです。そんな折に水害で村に住めなくなった栃木の団体移住者たちが、北海道へ入植しようという動きがありました。
当時、ここ北海道佐呂間町栃木には神社はあったのですがお寺はなかったため、建立のための嘆願書が出され、お寺の建設まで至ったそうです。
こういった北海道開拓の歴史は、多聞寺の歴史とともに様々な記録に残されています。例えば、北海道へ移動するまでの船が大雨で何度も流されそうになったことを記録する資料や、開拓の様子を描いた版画、お寺の建立の際の写真といったものが残っていて、今でも当時の様子を窺い知ることができますよ。
現在は、その当時の歴史に興味のある方などもお寺を訪れてくださいますね。もちろん様々な経緯で皆さん来られるんですが、例えば大学の教授の方や、栃木の方などがこういった資料を求めて来られたりするんですよ。

多聞寺の所蔵品から見える、徳川家康とのつながり

多聞寺では様々な仏像や彫刻などを所蔵しており、今日に至るまでの幾星霜を感じることができます。
たとえば、本尊である毘沙門天像や、日光東照宮の眠り猫の作者である左甚五郎が彫った鶏一対、天海大僧正のものとされる袈裟と紫衣などが主なものになります。
ただ、その中でも、目玉はなんといっても徳川家康公の木像ですかね。
その昔、家康は当院を非常に気に入っていたようで、徳川家康の御朱印付の寺院として別格の処遇を受けていました。家康の没後、その側近であり、家康を東照大権現として日光に祀った天海大僧正が彫ったとされるのがこの木像です。
この木像をお見せすると、皆さん「よく知っている家康の顔と全然違うんですね!」と言って驚かれるんですよ。なんだか当時の家康を肌で感じることができるように思えて、非常に興味深いですよね。

地域のお寺としてサロマと関わっていく

私がこちらで6代目の住職になって、もう20年ほどが経ちます。実は先代の没後、10年ほど継ぎ手がおらず、その間空き寺になってしまっていたんです。母がこちらの寺院の出だった縁もあり、その後私が継ぐこととなりました。
現在は地域の葬儀や法事だけでなく、様々なイベントに関わっています。
以前はお寺の前で秋祭りや盆踊りをしたりしていました。また、去年には、まちおこし協力隊の方と連携してお茶会をお寺で開きました。そのときにいらっしゃったのは女性の方やお子さんが中心でしたね。着物に着替えてもらい、お寺の中でお茶をしながら雑談をしたり、書初めをしたりしながら、今後のお子さんの成長についてのお話を聞きました。うちで祀っている子育観世音様や十九夜様は、まさに「女子会」の仏さまで、女性を守ったり、安産祈願や子どもの健やかな成長を祈るものなんですよ。
その他にも、少年団のスケートの指導もしています。実はスピードスケートの経験があり、それを活かして引率もしました。
このように、現在も地域のお寺として、様々な形で皆さんと関わっています。

心の拠り所として気軽に訪れてほしい

皆さんとお話しする中で、昨今の情勢の中、変わり映えのない生活に不安を感じている方が多いように思います。そういった心に不安を抱えている方には、ぜひ気軽に、楽な気持ちで当院を訪れていただきたいです。
お寺ってなんだか敷居が高くて行きづらいと思われがちですが、全然そんなことないんです。服装だって楽な私服で大丈夫ですし、作法も複雑で難解なものはありません。先入観を取っ払って、サロマ地域内外から心の拠り所として声をかけてもらえるような場所でありたいですね。

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